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住友林業が住宅業界に参入したのは、かなり遅く、
積水ハウス、ダイワハウス、住友林業、ミサワホームなどが 1960年代には、大躍進を遂げていたのに対し、
住友林業は1975年になって、ようやく住宅業界に登場してきました。
しかし、その後の住友林業の躍進は、それまでプレハブ住宅に押され 劣勢を強いられていた在来工法の活路を切り開きました。
そんな住友林業のルーツは言わずと知れた、住友財閥です。
住友財閥は、世界最大の財閥であるロスチャイルドより古い、 世界最古の財閥と言われています。
その歴史は、実に400年以上前にさかのぼります。
初めて住友の名が歴史に登場するのが、室町時代で、 当時は将軍の足利家に仕えていました。
その後、徳川家に仕え武家社会ではある程度の地位に付くのですが、
なぜか突然、武士を辞め、京都の洛中で「富士屋」という本と薬の店、 大阪で「泉屋」という銅商を営みました。
まさに、これが住友財閥の誕生でした。
住友家が財を成すキッカケとなったのが、天正19年(1591年)に 大陸から大阪の堺にやって来た「白水」という人物との出会いでした。
住友家はこの白水から、ひそかに、 「南蛮吹き」という粗銅から銀を分離する精錬法を伝授されたのです。
当時の日本には、そのような精錬技術はありませんでした。
住友家はこの「南蛮吹き」を秘伝として、代々受け継ぎ、 莫大な利益を上げていきました。
しかし、それは住友財閥にとっては、まだ序の口でした。
京都の洛中に「富士屋」を開いた
住友財閥の祖 政友
住友グループ広報委員会より
時は元禄3年(1690年)「切り上り長兵衛」という人物がいました。
長兵衛は、あちこちの鉱山を渡り歩き、 腕利きの坑夫として知られていました。
その彼が、愛媛県の新居浜で銅鉱脈らしきモノを見つけ、 その事を当時、既に、銅で名をはせていた住友家に報告しました。
(おそらく、長兵衛はこの事で、 住友家から相当額の報奨金を得たのでしょうね)
これが後に、世界最大の産量を誇る事になる別子銅山の発見でした。
この別子銅山こそが、住友財閥を築き上げることになったのです。
長兵衛から報告を受けた住友家は、すぐさま銅山の開発に乗り出し、
別子銅山は、翌年には正式に開坑します。
元禄4年(1691年)の開坑以来、昭和48年(1973年)に 閉山するまでの282年間、一貫して住友が採鉱してきました。
これだけの永い期間、一企業だけが採鉱し続けた鉱山は 世界広しと言えども、他に例がありません。
と、まあこれだけでもその歴史はたいしたものです。
さて、肝心の住友林業ですが、 実はこの別子銅山と大きな関係があるのです。
明治20年ごろ、別子銅山では煙害問題が深刻さを増し、 新浜の農民から直訴騒動が起こっていました。
明治時代の別子銅山
写真は週末の旅人のHPより
この問題に対し、住友財閥は真摯に解決に尽くし、
その事で、「企業の社会責任」の先駆者と評されています。
同時に、銅山の開発によって荒れ果てていた山々を
「青々とした姿にして、大自然にかえさねばならない」として、
植林を施すなど、環境復元にも心血を注ぎました。
それらの山林の管理会社として設立されたのが住友林業でした。
今から100年以上も前に、住友財閥は環境問題に取り組み、 その担い手として誕生したのが住友林業という訳です。
住友林業ではその時の精神が、 今なお、脈々と受け継がれていると自負しています。
他のページで、「タマホーム」の誕生秘話をご紹介しましたが、
確かに、その誕生の経緯には、天と地ほどの差がありますネ。
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