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積水ハウスは元々、積水化学工業の住宅部門でしたが、
発足当初、赤字がかさんでいたことから、
積水化学は積水ハウスを見限り、切り離してしまいました。
その後、積水化学が住宅事業に再挑戦し
立ち上げたハウスメーカーがセキスイハイムです。
「積水ハウス」と「セキスイハイム」。
同じ積水の名は付いていますが、全くの別会社です。
しかし、元々、同じ積水化学であったため、
社員の胸には、両社とも同じ積水化学の社章がついています。
積水ハウスの歴史を語る上で欠かせないのが、
実質上の創業者と言われている田鍋建氏です。
積水ハウス元社長 田鍋 健 氏
1963年、積水化学は、
それまでの拡大路線に陰りが見え始め、
まだ、立ち上げたばかりの「積水ハウス産業」を育てていく余裕が
なくなりました。
「こんなドラ息子の面倒は見ていられない!」と
積水化学の役員会で、住宅事業から撤退することが決まりました。
しかし当時、専務であった田鍋氏が
「確かに、しんどいが今後住宅需要は増える、潰すのはもったいない」
と発言すると、「ならば、お前がやれ!」ということになり、
半ば、押し付けられたような形で昭和38年8月(1963)
積水ハウス産業の社長に田鍋氏が就任しました。
そして、社名も積水ハウス産業から「積水ハウス」に変更しました。
田鍋氏が真っ先に行ったのが、出向社員の移籍でした。
当時の積水ハウスは、ほとんどが積水化学からの出向社員でした。
出向社員という立場では、
倒産しても積水化学に帰れるという気持ちがあるため
士気は上がりません。
そこで、田鍋氏は社員一人一人と面談し、
「私はここの船長だ。この船と運命を共にする覚悟だ。
私を信用できないなら、すぐ、積水化学に帰っていい、
私についてくるなら、積水化学に辞表を出してきてほしい」
と訴えました。
その田鍋氏の熱意は社員に伝わり、
結果的に全員が積水化学からの移籍に同意したのでした。
それから、売上は倍々ゲームのように伸び、
創立10周年を迎えた1970年、ついに株式上場を果たします。
そして、常にNO.1ハウスメーカーの座に君臨し、
売上1兆円を超える、巨大企業へと成長をとげたのでした。
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