【回想録】起業のメリット





 

 

私が住宅の仕事をするようになってから
10年が経とうとしていました。

その間、手掛けた新築住宅は約30棟。

しかし、私は過酷な労働をしいられ、
会社からは全く評価されない・・・。

もう限界が来ていました。
私は会社が嫌で嫌で仕方ありませんでした。

その気持ちを押し殺して、無理矢理仕事をしてきましたが、
夜、眠る事ができなくなってきて、
時折、めまいを覚えるようにもなりました。

大好きだったバレーボールやサッカーにも
興味を持てなくなり、
何事にも気力を出す事ができなくなってきました。

それ以上、この会社にいたら
私はおかしくなってしまう‥‥‥。

もうダメ、会社を辞めよう‥‥と決意するのでした。


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【回想録】難しい交渉をクリアしたのに





 

 

前回も書きましたが、
職人さんがみんな怒って帰ってしまったり‥‥。

それ以外にも、
住宅の位置を間違えて、
50センチほどずれた状態で基礎を作ってしまったり、
床暖房を設置しなければいけない事をど忘れして、
家が完成してから気が付いたり‥‥。

思い起こせば、失敗は数えきれません。

そんなさなか、一級建築士が私の上司として迎え入れられました。

やっと、ド素人の私一人が
悪戦苦闘する日々も終わりかなと、安堵したのでした。

彼は、私によく言いました。
「難しい交渉事があれば、俺に任せろ!」

‥‥それは頼もしい。

そして、実際に難しい交渉に迫られた時の事です。


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【回想録】大失態!大工さんからは手待ち代の請求が‥‥





 

 

なぜか、当時勤めていた会社が
住宅事業を立ち上げる事になり、
私を含め、一緒に立ち上げる事になった他のメンバーは
次々に戦線離脱。

ド素人の私一人で、家を建てる事になったのです。

当然、失敗の連続です。

最初の大失態は基礎工事が終わって、
建て方(柱や梁を組み立てること)を始める時の事でした。


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【回想録】私は丁張り(チョウハリ)すら知りませんでした




その時、私は34歳。
勤めていた会社が突然「住宅事業を始める」と言い出し、
私をはじめとする、社内の住宅建築のド素人が3人集められました。

なんにも分からない状況で、
社長の親戚の家を建てる事になったのです。

とりあえず、社長の知り合いの工務店から
家づくりのレクチャーをしてもらう事に‥‥。

しかし、ド素人にレクチャーするなんて無茶な話しです。

ある日、その工務店のIさんが会社まで来てくれて
家を建てる手順を説明してくれる事になったのですが・・・。


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【回想録】素人が住宅の仕事をすることに‥‥





 

 

私は京都に安住の地を得て、
これまでに身に付けた、製品開発のスキルを活かして、
仕事も順調でした。

私の人生の物語は、
これで、めでたし、めでたしで終わるはずだったのですが‥‥。

当時勤めていた会社は、京都の小さな製造メーカーでした。

ところが、私がその会社に転職してから3年ほどして、
社長が突然、「住宅事業を立ち上げる」と言い出したのです。

そして、なぜか私がその事業を立ち上げる事に‥‥。

でも、私はもちろんですが
会社自体、住宅建築のノウハウは皆無。

本業とは全く畑違いの事業です。

普通なら、どこかの工務店やハウスメーカーから
住宅建築のプロフェッショナルを連れてきますよね。

ところが、社内の人員だけで
事業を立ち上げると言うのです。

私は設計を担当‥‥
理由は工業製品の設計ができるから。

‥‥そんな馬鹿な。


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【回想録】工業デザイナーとして、社会人をスタート





 

 

バブルの真っただ中で、大学を卒業。

これ以上ない追い風を受けながら、
就職活動に失敗した私は、名も無い小さな会社で、
工業デザイナーとして社会人をスタートさせたのでした。

大学の仲間は皆、超一流企業に就職して、
なんだか、自分だけ取り残されているように感じました。

彼らとは、給料が全然違いますしね。

彼らが羨ましくて羨ましくて
もう、本当に人生が嫌になりました。

落胆している私に、更に追い打ちをかける状況が‥‥。


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【回想録】バブル最高潮での就職活動





 

 

1年間の浪人を経て、
私は大阪芸術大学のデザイン学科に入学、
工業デザインを専攻しました。

工業製品のデザインをするのです。

来る日も来る日も、マーカーでスケッチを描いて、
ドラフターに向かって図面を描いていました。
(それらの作業は、今ではパソコンに取って代わりましたが)

そうこうしている内に、世の中はドンドン景気が良くなって、
私が卒業を迎える時には、バブルが最高潮。

あの時、大学を卒業する人は誰もが引く手数多でした。

今では考えられませんが、会社説明会に参加するだけで
高級なレストランに招かれて、フルコースをご馳走してくれたりしました。


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【回想録】体育会系から一転、美大・芸大を目指すことに





 

高校の3年間、バレーボール漬けだった私は
自分にバレーボールの才能が無い事を悟り、
その後の進路を体育会系の世界から、180度違う芸術の世界へ‥‥。

美大・芸大を目指すことにしたのでした。

普通なら、体育大学にでも行って
体育の教師になるとかが自然なのですが‥‥。

しかし、それにはあまりシックリ来るものがなくて、
どうしようかと思っているさなか、
「そうだ、自分は絵を描くことが得意だ」

学校の美術の授業ではクラスメイトからは、
「上手い」と褒めたたえられ、
美術の先生からも、美大に行くことを考えたらどうだ
‥‥なんて言われてしまったもので。


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【回想録】続・私は高校時代、バレーボールをしていました





 

 

昨日のブログの続きです。

毎年、全国大会に出るような
バレーボールの名門高校に入った私でしたが、
このままでは3年間玉拾いで終わりそうだし、
いつバレー部を辞めようかと、そればかり考えていたのでした。

ところが、思わぬ事態が起こりました。

最も有望視されていたバレー部の特待生がいたのですが、
彼は腰痛を訴え、病院に行くと、医者から
「これ以上バレーボールを続けてはいけない」
と言われ、退部することに‥‥。


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【回想録】私は高校時代、バレーボールをしていました





 

自己紹介を兼ねて、何回かに分けて回想録を書きます。

まずは私が高校生の頃のお話から。

‥‥実は高校生の頃の私は体育会系だったのです。

バレーボールをしていました。
その時の写真がこちら

中央付近でジャンプして、スパイクを打った直後なのが私です。

当時は結構強いチームで、全国大会にも出たんですよ。


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