【回想録】バブル最高潮での就職活動


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1年間の浪人を経て、
私は大阪芸術大学のデザイン学科に入学、
工業デザインを専攻しました。

工業製品のデザインをするのです。

来る日も来る日も、マーカーでスケッチを描いて、
ドラフターに向かって図面を描いていました。
(それらの作業は、今ではパソコンに取って代わりましたが)

そうこうしている内に、世の中はドンドン景気が良くなって、
私が卒業を迎える時には、バブルが最高潮。

あの時、大学を卒業する人は誰もが引く手数多でした。

今では考えられませんが、会社説明会に参加するだけで
高級なレストランに招かれて、フルコースをご馳走してくれたりしました。


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特に、どこの企業も製品開発部門の人材を欲しがっていたので、
私のような工業デザイナーの卵は、その中でも特別扱いを受けました。

高級レストランでの会社説明会の後、
人事部の人が、こっそり私のところにやってきて、
「この後、2次会があります」と耳元でささやくのです。

そんな感じで、数名が呼び出され、連れて行かれたのは‥‥
カウンターの向こうに、着物姿のママがいて、
若いお姉さんが隣に座って、お酌をしてくれるようなところ‥‥。

「ぜひ我が社に入ってください」みたいなことを言われて、
私の方は「どうしようかな‥‥」

なんて馬鹿げたことでしょう。
私はすっかり世の中を甘く見るようになってしまいましたね。

世の中はそんな状況ですから、
大学で一緒に勉強をしていた仲間たちは、
皆、超一流企業に就職しました。

一流も一流。
日本のみならず、世界中誰もが知っているような超大手。

 

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この前、久しぶりに大学時代の仲間が集まって、
飲み会をしたのですが、
今では、その一流企業で部長とかの肩書き。

皆、部下が200人ぐらいいるとか‥‥。

彼らが言うには
「最近の若い連中は使えない」

えっ? ウソでしょ!

だって、彼らが入社したての頃、
上の人たちから、同じような事を言われてたと思うのですが‥‥。

それが今では毎朝、朝礼で部下に激を飛ばしているとか。
‥‥その状況が想像できません。

大学の時には、鼻の下を長くして
いつも女の子のお尻を追いかけていたり、
遊ぶことばかり考えていたのに。

就職試験の前なんか、
仲間の中では、私だけが進学系の高校出身だったので、
フランスの大統領は?
オランダの首都は?
二葉亭四迷の代表作は?
‥‥とか、試験に出そうな一般教養問題を
私が教えてあげてたんですよ。

そんな状況だったことを
彼らの部下が知ったら、なんて思う事か‥‥。

ともかく、彼らがそれだけ出世しているところを見ると、
勉強ができるのと、仕事ができるのとは
全く、別物だという事が良く分かります。

ところで、私の就職活動はどうなったかというと、
ここでは恥ずかしくて、細かいことは書けないのですが、
色々ありまして、まご付いている間に就職の機会を逃して
気が付けば、就職戦線はとっくに終わって、卒業が目の前に‥‥。

仕方なく、研究室の教授に泣き付いて、
結局、名も無い小さな会社へと就職したのでした。

大学の仲間たちと同じように、
超一流企業へ就職できる状況でありながら、
それをふいにしてしまうなんて、なんたる失態。

もう、これで人生もふいにしてしまったなと思いました。

ここから、さらなる回り道の人生が始まったのでした。

この続きは、また後日。

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