【回想録】工業デザイナーとして、社会人をスタート





 

 

バブルの真っただ中で、大学を卒業。

これ以上ない追い風を受けながら、
就職活動に失敗した私は、名も無い小さな会社で、
工業デザイナーとして社会人をスタートさせたのでした。

大学の仲間は皆、超一流企業に就職して、
なんだか、自分だけ取り残されているように感じました。

彼らとは、給料が全然違いますしね。

彼らが羨ましくて羨ましくて
もう、本当に人生が嫌になりました。

落胆している私に、更に追い打ちをかける状況が‥‥。


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たまに、大学の仲間に合って、
彼らがやっている仕事について話を聞くと、
企画部門が作成した企画書をもとに
製品のデザインをして、CGを使ってスケッチを作成するだけ。

それ以外の作業は別の部門がやってくれます。

さすがに大企業なので完全に分業化されていて、
彼らは工業デザイナーとして、
一番面白い仕事だけをスマートにやっていれば良いのです。

ところが就職活動に失敗して
小さな会社に就職してしまった私は
全ての作業を、私一人でやらなくてはならなりませんでした。

マーケティングをして、
何が求められているのかを調べ、製品の企画を立て、
それを元に製品のデザインをします。

取引先にプレゼンをして、企画が通れば、
設計をして図面を作成します。

その後、試作品を製作して、製品テスト。

そして、ここから先が大変です。

 

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発売予定日に間に合わせるように
スケジュールとの格闘です。

目標の価格が実現できるように、
金型業者や加工業者と交渉をしなければなりませんし‥‥。

価格が折り合えば
金型を発注して、加工業者に金型を搬入。

そして加工業者が初回ロットの製品を納品してきたら
私の役目は、ようやく終わりです。

しかし、初回ロットが納品されるまでに、
必ず、何らかのトラブルが発生するのです。

金型が加工業者に搬入されて、テスト成形をした時に
思わぬ不具合が発覚する事もあります。

価格が折り合わない事はしょっちゅうで、
発売予定日が迫っている時などは、
何百万円、何千万円もの金型の製作費の話しを後回しにして、
とりあえず金型の製作をスタートさせたり‥‥。

後で、どうにか価格の折り合いを付けたものの、
社長の決裁が取れなかった時には、青ざめました。

 

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いつもドタバタドタバタして、
とてもスマートとは言えない泥臭い仕事に振り回されました。
でも、後で考えると、
その時の私の状況は、決して悪くなかったのです。

社会人になってから10年もすると
製品開発に必要なスキルが全て身に付いていたのです。

いくつかの製品で、特許も取得したりしたんですよ。

今と違って、当時、バブルが崩壊したとはいうものの、
ステップアップのための転職先も、沢山ありました。

製品開発のスキルを武器に
何度か転職をして、転職をする度に、給料も増えていき、
何となく自信のようなものが湧いてきました。

超一流企業に就職した大学の仲間たちより給料は安かったけど、
彼らには身に付けることができないスキルを得て、
仕事も面白くなってきたし、
今まで色々な回り道をしてきたけど、
これで良かったなと思えるようになったのでした。

やがて、京都の人である妻と巡り会い、
妻の実家に居を移すために、京都の会社に転職し、
2人の子供にも恵まれて‥‥と、私の人生の物語は、
これで、めでたし、めでたしで終わるはずでした。

ところが
この後、更なる大どんでん返しが待ち受けていたのです。

この続きは、また後日。

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