【回想録】続・私は高校時代、バレーボールをしていました





 

 

昨日のブログの続きです。

毎年、全国大会に出るような
バレーボールの名門高校に入った私でしたが、
このままでは3年間玉拾いで終わりそうだし、
いつバレー部を辞めようかと、そればかり考えていたのでした。

ところが、思わぬ事態が起こりました。

最も有望視されていたバレー部の特待生がいたのですが、
彼は腰痛を訴え、病院に行くと、医者から
「これ以上バレーボールを続けてはいけない」
と言われ、退部することに‥‥。


無念だったでしょうね。

その後も、有望視されていた他のメンバーに故障が相次ぎました。

すると、故障した彼らに代わって、
玉拾いをしていた私が
練習に参加させてもらえるようになったのです。

そして、試合にも出してもらえるようになり、
いつしか気が付くと、
なんと、タナボタ式にレギュラーになっているではありませんか!

バレーボールの名門校でレギュラーになると
地元のテレビ局や新聞社が取材しにくるし、
女の子にもモテたんですよ。‥‥ホントですよ。

それよりも、何よりもうれしかった事が‥‥。

私の高校の隣には、東レの工場があり、
そこには、東レの実業団チーム(現 東レ アローズ)があって、
私のチームはいつも一緒に練習させてもらっていたのでした。

当時、東レの実業団チームには、コーチ兼選手として
ミュンヘンオリンピックのゴールドメダリストの一人、
深尾吉英さんという方がいました。

バレーボールを志す人にしてみたら、まさに神様。
ナント、その神様から直接指導してもらえるのです。

それから、私と同年代で、有名な選手だったのが
今はタレントの河合俊一さん。

河合さんは高校生の時から将来の全日本候補と言われ、スター選手でした。

その河合さんとも、一度、合宿で一緒になったことがあって、
ワンツーマンで練習をさせてもらったこともありました。
(正確には、私は河合さんの練習のお手伝いですけど)

それにしても、一緒に60人が入部して、
その中で、レギュラーになれたのはたったの3人だけ。

実に、競争率20倍という熾烈な争いを制して、
あぁ、あの時バレー部を辞めなくて良かった!
‥‥と思ったのでした。

 

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ただ、有望なメンバーが次々に抜けてしまったので、
チームの戦力は、当然、ガタ落ちしていました。

お陰で、県大会でベスト4までしか行けず、
全国大会には出られなかったのです。

私の先輩の代は、全国でベスト8。
一つ下の後輩たちは、全国でベスト16。

私も、ものすごく全国大会に行きたかったのですが、
非常に悔しい結果に終わってしまいました。

かつて、有望視されながら故障で辞めていった彼らの内
誰か2人が残っていたら、私はレギュラーにはなれなかったでしょうし、
誰か1人だけ残っていてくれたら、
私もレギュラーとして全国大会に出らたかもしれない‥‥
‥‥なんて事を思っていました。

でも、世の中、そんなに都合よく行く訳ないですよね。

ともかく、自分にバレーボールの才能が無い事だけはよく分かりました。

そして、その時私は高校3年生。
次の進路を決めなければなりませんでした。

一番大好きなバレーボールだけど、これ以上は無理‥‥。
となれば、2番目に好きなもの‥‥。

それが、絵を描く事だったのです。

そこで、心機一転、芸術大学を目指すことに‥‥。

今考えてみるととんでもない転身ですね。
体育会系の世界から、180度違う文科系の世界へ‥‥。

この続きは、また後日。

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