本当にあった怖い話・・・その後、どうなったか


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【これまでの話し】

1975年ごろ
私の母が働いていたパン屋の工場が
謎の火災で半分が焼けてしまいました。

その1ヶ月後、
創業者のご主人が
心不全で急死してしまった
・・・という所までお話ししました。

これまでの話はこちらをご覧ください

今回はその後の話です。

ご主人を急に亡くし
奥さんがパン屋の経営を引き継ぐ事になりました。パン屋で起こった怖い話

半分残った工場をフル稼働し、
何とか学校給食のパンを賄い、
数ヶ月後には店舗も復活させ、
徐々に元へ戻っていきました。

ところが・・・!


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ところが一緒に火災に見舞われた
近隣の店の数件から、
パン屋が火元ではないかという事で
訴えられ、裁判で争う事になってしまったのです。

火災の原因を裁判で争う

最終的には、パン屋が火元だとする証拠は無く
勝訴するのですが、
奥さんはすっかり精神的に疲れ果て、
もう、パン屋を経営していく気力も無くなってしまったのでした。

丁度そこへ、助っ人が現れます。

年頃を迎えた一人娘が
結婚したい人がいると言って連れてきた人がいました。パン屋の娘が結婚

聞けば、相手の男性も一人息子ではありましたが
パン屋を継いでも良いと言うのです。

 

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奥さんからしてみたら「渡りに舟」

若いお婿さんにパン屋の経営を預け
ようやく安堵する事ができました。

このまま安泰・・・

となれば良かったのですが
残念ながら、そうはいきませんでした。

それまでの学校給食は
各小学校ごとに給食を作っていたのですが、
給食センターができて、一括して小学校へ配送するスタイルに変わったのでした。

給食センターで扱うパンは
ヤマザキなどの超大手のパンです。

しかも、巷には小規模で
味にこだわった手作りパンの店が
あちこちにできて、店舗での売り上げもダウン。

途端に経営が苦しくなって行ったのでした。

パン屋の経営は厳しくなった

 

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更に追い打ちを掛けるように、
一方で、こんな不幸も起こっていました。

お婿さんの両親が亡くなったのです。

お婿さんの実家は富士山の麓に、
先祖代々の広大な土地を持っていました。

ただ、富士山の麓ですから深い山の中。

富士山の麓の土地を相続

誰も見向きもしない土地で、価値としては二束三文でしたが
広大な土地でしたので、それを相続するとなると、それなりの相続税になります。

固定資産税もバカになりません。

パン屋の経営に土地の相続・・・
泣きっ面に蜂という状況にありました。

ところがです。

ちょうどそんな時、新東名高速道路を建築する話が持ち上がり、
お婿さんが相続する土地の一部が、その用地となっていたのです。

第二東名が通る事に

土地は予想以上に良い条件で買い取ってもらえ、
相続税を払っても余りあるお金が手に入りました。

それだけではありません。

新東名の影響でしょうか、
色々な企業から、工場用地として
土地を貸してくれないかという話が
次々に舞い込んでくるようになったのです。

 

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結局、毎月
それなりの借地料が入るようになり、
それだけで充分暮らしていける程になったのでした。

そこで、パン屋の従業員には手厚い手当てをして
工場と店を畳みました。

その後、パン屋の奥さんは
毎年、女性の元従業員を集めて旅行に行くようになりました。

女子旅ですね。

毎年、旅行に行くようになる

元従業員だった私の母親も
毎年、その女子旅を楽しみにしていました。

そして、なんと、旅費は全て奥さん持ちです。

実は、土地を貸している企業が
地元への還元という事で、
旅行券を贈ってきてくれるのでした。

数年前、奥さんは99歳で亡くなったのですが、
直前までとてもお元気で、
毎年の女子旅も続けられていました。

「万事、塞翁が馬」

とても波乱万丈でしたが
最期は幸せな人生を全うしました。

というお話でした。

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