上棟式とは何をするのか?|現在の主流は?

上棟式とは屋根の一番高い位置に取り付ける棟木(むなぎ)が取り付けられたタイミングで、工事の安全を祈願し、施主と職人さんの親睦を深める事を目的とした儀式です。昔と違い、現在は簡略した形で行うのが主流です。

先日、大阪の守口市の現場で上棟式が行われました。
写真は棟梁が小屋裏に御幣(ごへい)を納めているところです。

御幣を棟梁が小屋裏に納めているところ

最近の上棟式はどの様な形で行われるのか?
また、上棟式にまつわる意外な由来をご紹介します。


最近の上棟式の形


昔は骨組みの状態の建物の中で、大工さんをはじめ職人さんはもちろん、近隣の親しい人達や親戚の人達も呼んで、食事やお酒を振舞うというパターンが多かったです。
施主の主導で開催されるのですが、皆、上棟式を楽しみにしていました。

私のいる京都ではしませんが、地域によっては近隣の人達を集めて餅撒きをしたりします。
私の出身地である静岡の御殿場では子供の頃、上棟式でよく餅撒きをしていました。

しかし、今はその様な上棟式はお目に掛からなくなりました。
昔はお酒を飲んで宴会をしていたのですが、職人さんは遠方から車で現場へ来ていますし、今はそんなご時世ではありません。

だいたいこんな感じで上棟式をするのが主流です。

全員で御幣(ごへい)に向かって2礼2拍手1礼をする。

  1. 建物の四方にお酒、米、塩を撒く。
  2. 棟梁あるいは工事関係者が御幣を小屋裏へ納める。
  3. 施主からのあいさつ
  4. 直会(なおらい)御神酒で乾杯

後はほとんどの場合、現場でそのまま電気設備の打合せをして終わりです。

その場で食事をする事はまずありません。
たまにお施主さんがご高齢だったりすると、出席者にちょっとしたお弁当を持ち帰ってもらったりする事もあります。

ちなみに御幣は工務店に依頼すれば用意してくれます。
こちらのお施主さんは京都の城南宮へ行って、ご自身で棟札用意されました。

お施主さんが神社で用意した棟札

 


上棟式のタイミングと服装


 

◆上棟式の服装

地鎮祭の場合、神主さんを呼んで神事として行う事がほとんどなので、スーツとかフォーマルな服装をする事が多いです。

地鎮祭の服装についてはこちらの記事をご参照ください。
https://polaris-hs.jp/kiso_chishiki/ceremony_zitin_fuku.html

月別、スタイル別に地鎮祭の服装をご紹介しています。

上棟式の服装は工事中の現場でもありますし、もしかしたら釘にひっかけてしまうかも知れません。
汚れても良いようなラフな服装で構いません。

 

◆上棟式のタイミング

昔は上棟したその日に上棟式を行いました。
というより、上棟式をする日にちょうど上棟するように工程を調整していました。

今は工事の進捗が優先で、上棟した後の土日に行うというのが一般的です。

木造住宅の工事で上棟の瞬間
(棟木を取り付けているところ)

そして、とりあえず六曜の仏滅と三隣亡(さんりんぼう)だけは外して日を決めるというケースが多いです。

もっと細かく言うと、六曜の大安は終日OK。
友引も終日OK。
先負は午前中はOKで午後はNG。
先勝は午後はOKで午前はNG
赤口は終日NG。

ちなみに大阪の守口市の現場では友引に上棟式をしました。

六曜以外にも十二直(じゅうにちょく)という暦注もあり、建築関係者はどちらかというと、十二直を気にする人が多い様に思います。
十二直については「建築 吉日」で検索すると出てきます。

ところで、過去に不成就日という事を気にされる方がいらっしゃいました。
でもそれはとてもマイナーなケースで、建築関係者で不成就日を知っている人はまずいません。
なぜなら、不成就日は江戸時代の会津藩だけで短い期間使われていた暦に制定されていた大凶日で、歴史も浅いですし、気にする必要はないと思います。

 


上棟式にまつわる意外な由来


上棟式が行われるようになったのは平安時代初期だとか。
おそらく京都の神社仏閣を創建する際に行われるようになって、日本中に広まったのでしょう。

ところで、上棟式で小屋裏に納める御幣(ごへい)ですが、関西ではおかめの面が付いている「おかめ御幣」が主流です。

関西で主流の御幣はおかめ御幣
(おかめ御幣)

となりのトトロで、まっくろくろすけが出てくる小屋裏のシーンで、一瞬だけおかめ御幣が映ります。

おかめ御幣のルーツは800年前の1227年、京都の千本釈迦堂(京都市上京区溝前町1034)です。

おかめ御幣のルーツの京都市にある千本釈迦堂
(千本釈迦堂の本堂)

おかめは、千本釈迦堂の本堂を建てた棟梁の奥さんでした。
棟梁の名は長井飛騨守高次(ながいひだのかみたかつぐ)。
当時、名の通った棟梁でしたが、本堂を建築する際、誤って柱を短く切ってしまいました。

途方に暮れる高次に奥さんのおかめは、その失敗をリカバーするアイデアを提案。
そのお陰で、高次は事無きをえました。

しかし当時は女性が男の仕事にしゃしゃり出る事は言語道断。
女の力を借りて助けられたとなっては高次にはこれ以上無い汚名が着せられ、名声は地に落ちてしまいます。
そんな事があってはならないと、おかめは本堂の上棟を待たずに自害してしまうのでした。
そして高次はおかめを弔って、おかめに似せた面を彫り、御幣に括り付け、上棟式で小屋裏に納めたのでした。

その後、1467年に応仁の乱が起こり、京都の街は焼け野原になってしまいますが、千本釈迦堂の本堂だけは焼けずに残りました。

応仁の乱以降も京都は大火に襲われますが、その都度、千本釈迦堂の本堂は焼けずに残りました。

そのため、家の火災除けと家内安全を祈念して、関西ではおかめ御幣を小屋裏に納める様になりました。

ところで、となりのトトロの舞台は埼玉県の辺りだとか。
本当なら関東地方ですからおかめ御幣は無いはずなのですが、ファンタジーですし、宮崎駿の感性がおかめ御幣を登場させたのでしょう。

 

上棟式についてはこちらの記事も併せてご参照ください
上棟式のご祝儀・費用・表書き


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